Saturday, December 10, 2011

The Thai Report Part 15

Day2 pm:Ayuthaya City

さて、先日のタイレポートの続きになりますが、今回は2日目の午後の模様をお伝えいたします。Wat Phananchoeng Worawihanの次にむかったのは、Wat Yai Chaimonkonというお寺です。このお寺は1357年、アユタヤを建都した初代ウートン王がセイロン(現スリランカ)に留学中の修行僧たちの瞑想のために建てた寺院で、別名を「ワット・プラ・チャオプラヤータイ」というそうです。また、遠くからでもひときわ目立つ高さ72mの仏塔は、1592年に19代ナレスアン王が象にまたがり一騎打ちでビルマ王子を敗り、ビルマ軍との戦いに勝利した記念の塔だそうで、その広い境内には塔の周りを囲む黄色い袈裟を纏った数十体の坐仏像と寝釈迦像がありました。

Wat Yai Chaimonkon









続いてWat Yai Chaimonkonの次にむかった先は、わたしがアユタヤの寺院の中で一番見たかったWat Maha thatでした。この寺院は、1369年~70年の2代ラーメスアン王が建てたという説と、1370~88年の3代ボロムラーチャー1世が建てたという説がある13世紀の重要な寺院の一つだそうです。かつては塔の頂上が黄金に輝いていたこの寺院もビルマ軍の侵略により廃墟と化し、今は木の根の間に埋め込まれた仏像の頭や、頭部がない仏像、崩れ落ちたレンガの壁や礼拝堂の土台が残るのみとなっていました。またこの寺院は1904に完全崩壊するまで、アユタヤ王朝後期に何度も修復とリフォームが繰り返されたようです。そして1956年にタイの芸術局(Fine Arts Department)によって行われた修復工事により、かつて仏舎利塔に納められていた仏像の遺跡やその他の仏像 、奉納額、など多数の芸術品が発見されたそうです。(これらは現在他の博物館で展示されている)そしてメインの仏塔(チェディ)は、ラテライトの基礎部分と上部建物部分のみが残っていおり、仏塔を囲んでいたベランダの屋根部分を支えていた柱の跡が見られました。一部のみが修復されてはいるものの、既存の遺跡は 広大で荘厳としており、かつての最も重要な宗教的中心地の姿を垣間みることができました。

Wat Maha that

















そしてこの後はMr.Nuiにつれられ、Wat Maha thatから数キロ離れた場所にある像センターへ移動し、像に乗りながら遺跡の敷地内を観光しました。楽しかった時間はあっというまに過ぎ、そろそろ移動の時間といことで、彼らとはこのアユタヤでお別れとなりました。また来年再開することを誓い、彼の案内でバンコク行きの電車に乗りました。今回初めてのアユタヤ観光でしたが、Mr.Nunと彼の家族のおかげで大変貴重な時間を過ごすことができました。またこの二日間、様々な観光地の移動をサポートしてくれたトゥクトゥクドライバーの夫婦には、本当にお世話になりました。彼らの懐の深さと、心の温かさに大変感謝いたしました。さて洪水災害から約二ヶ月が経ちましたが、現在のアユタヤはだいぶ水は引いたとはいえ、まだまだ現状は大変だと聞きました。一日でも早く、この都市が回復することを心から願い、アユタヤ編は今回で終わりとなります。Thanks Mr.Nui. บายดี หรือ ครับ.แล้ว พบ กัน ใหม่ นะ ครับ!






No comments:

Post a Comment